2010年5月30日日曜日

第1回目の地域協議会が開かれました

5月27日(木)第1回 江別小学校・江別第三小学校地域協議会が開かれました。当会事務局でもある二人が、それぞれ江別小学校おやじの会会長として石堂了正が、江別第二自治会青少年育成部長として筒渕裕浩が参加いたしました。詳細は後日、江別市教育委員会のホームページに掲載予定とのことですので、そちらをお持ちいただくといたしまして、概略をご報告いたします。まず、委員として名簿には18名が名を連ねていますが、江小側・三小側それぞれPTA関係者4名、保育園・幼稚園関係者1名、自治会関係者4名づつという構成で、当日は15名の出席でした。主な内容は以下です。

(1)これまでの経過について
(2)規約について
(3)役員の選出について
(4)学校適正配置の基本的な考え方について
(5)江別小学校の統合問題を考える会の嘆願書について
(6)次回の議題について
(7)第2回協議会の開催日時等について

以上の中で、(2)については市教委側からの案に一部修正を加えて、次回再検討ということに。(3)の役員は、委員長に両校の共通校区である一番町の支部英孝さんを、副委員長には江小PTA会長の石垣健一さんと三小PTA会長の安孫子俊之さんの2名を選出いたしました。(5)については残念ながら賛同が得られず、前述の通り、事務局から別な立場で石堂と筒渕の2名が参加しているなどの理由から否決されました。(6)については、委員である江別第一自治会会長の内田悟さんから私案が提出されているので、それを取り上げることに。(7)は6月下旬に開催日程を調整することで決まりました。今後は月1度のペースで9月まで5回開催し、ある程度の議論をしていきたいとの市教委側からの説明がありました。
この地域協議会の結果を踏まえ、当会が今後どのように地域協議会に関わっていくかを、早急に検討したいと考えております。皆様のご意見をお寄せください。よろしくお願いいたします。

2010年5月25日火曜日

飛鳥山における江別競馬

飛鳥山公園に競馬場があったことは「江別小学校の周辺環境 7」でも触れていますが、江別市総務部「新 江別市史」本編229頁に、”江別市においても大正五年、岡田伊太郎を会長とする江別競馬会が誕生。同年九月一〇、十一の両日、飛鳥山に新設の馬場(一周、三五〇間)で、第一回江別競馬が開催された。”とあります。いわゆる草競馬として、飛鳥山で行われたのはこれが最初と思われます。

当時は国策として馬体改良に力を注いでいたこともあり、競馬が奨励されていました。後の1927年(昭和2年)「地方競馬規則」の公布により、翌年の1928年(昭和3年)6月、本格的な地方競馬としての江別競馬が開催されました。江別町開村50周年記念事業の一環であったこともあり、大変盛況であったと伝えられており、1929年(昭和4年)10月の秋季開催では総売上高55,280円を記録したそうです。

しかし、1933年(昭和8年)、売上の5%を徴収するという観覧税の導入に伴い、売上高が急速に減少、翌1934年(昭和9年)現在の見晴台付近に馬場移転を余儀なくされます。

その後も売上が回復することもなく、戦時色が高まっていくなか、1938年(昭和13年)江別競馬はその歴史の幕を閉じることとなります。今やその面影を残すものは飛鳥山に残る史跡と、”競馬場通り地下歩道”の名前のみとなってしまいました。

2010年5月23日日曜日

江別小学校の周辺環境 7

先日の「江別小学校の周辺環境 6」でご紹介しました国道12号には、1976年(昭和51年)の開通時に整備されたと思われる地下歩道が2箇所あります。白い外壁の入り口が”競馬場通り地下歩道”で、レンガ調の外壁の入り口が”公園通り地下歩道”です。

意外とご存知ない方もいらっしゃると思いますが、この2つの地下歩道は、地下でつながっているわけではありません。全く独立して個々に存在しています。

8条8丁目と8条7丁目の間にある”競馬場通り地下歩道”、出入口は8条8丁目側に1つ、8条7丁目側に1つ、緑町側に1つの合計3つあります。どのくらいの人が利用するのでしょうか。多くはないことは想像できます。老朽化も目立ち始めています。

1934年(昭和9年)まで飛鳥山公園に競馬場があったため、JA江別支所から江別第三小学校前を飛鳥山公園へ向かう通りが”競馬場通り”と呼ばれています。しかし、今ではそう呼ぶ人も多くありません。地元の人か、江別市民でも年配の人ぐらいではないでしょうか。

2010年5月22日土曜日

桜が咲きました! その後

爽やかなお天気に誘われて、再び江別小学校へ行ってきました。

今週は風の強い日が多かったせいか多くの桜はすでに”じゅうたん”状態でした。

しかし、まだ見頃の桜や、梅も咲いていますので、皆様も足を運んでみてはいかがでしょうか。

2010年5月19日水曜日

江別小学校の周辺環境 6

江別小学校のすぐそばに国道12号があります。1960年代後半(昭和40年頃)より自動車の普及が著しく、国道を通過する車両も増大したため、江別駅前を変則的に通過する旧国道の拡幅をあきらめ、王子製紙の敷地を横切るように大きく迂回するバイパスが建設されました。

当時、いくつかのルートが検討されたようですが、工期が短い現在のルートが採用されました。しかし、当初は1973年(昭和48年)開通の予定でしたが、ただでさえ脆弱な地盤の多い江別市で、とりわけこの工事は難航したようです。不自然にS字になった部分があるのも脆弱地盤を回避したためでしょうか。結局1976年(昭和51年)11月に開通しました。

2010年5月16日日曜日

桜が咲きました!

例年はゴールデンウィーク中に見頃を迎える江別小学校の桜ですが、やっと咲きはじめました。

江別小学校の校庭にある桜の木は、同時にすべての木が咲くわけではないので、現在満開なのは1本だけですが、これからしばらくの間日替わりで楽しむことができます。

私が職員室前で写真を撮っていると、お仕事をされている先生方がいらして、校庭で遊んでいる子どもたちと、私にまで声をかけていただきました。休日にも関わらず、子どもたちと地域のために一生懸命な先生方には、心から感謝申し上げます。

2010年5月15日土曜日

第1回江別小学校・江別第三小学校地域協議会

5月27日(木)、「江別市学校適正配置基本計画」により提示された江別小学校と江別第三小学校との統合を協議する場として、第1回江別小学校・江別第三小学校地域協議会が開かれます。この協議会に参加できるのは、江小側、三小側それぞれPTA関係者4名、自治会関係者5名の合計18名に限られています。そこで、先日開催されました第2回「江別小学校の統合問題を考える会」の中でもご意見を頂きましたので、江別小学校の統合問題を考える会からも代表者が地域協議会に参加させていただけるよう、5月7日に以下の内容の嘆願書を江別市教育委員会に提出致しました。
平成22年5月7日
江別市教育委員会 委員長 長谷川 清 明 殿
         教育長 月 田 健 二 殿


江別小学校・江別第三小学校地域協議会参加の嘆願書


謹啓 貴職におかれましては益々ご清祥のことと大慶に存じ上げます。
さて、貴委員会が、示されました「江別市学校適正配置基本計画」につき、近日中に「江別小学校・江別第三小学校地域協議会」が開催されるようであります。つきましては、下記の通り嘆願いたしますので、特段のご配慮をいただきますよう、お願いいたします。
  
「江別小学校・江別第三小学校地域協議会」に「江別小学校の統合問題を考える会」の代表者が委員として出席、参加できるよう嘆願します。

【理 由】
 私達「江別小学校の統合問題を考える会」は平成21年12月初旬に発起人である江別小学校歴代PTA会長が4名集い、「江別市学校適正配置基本計画」につき意見交換を行いました。その結果、教育委員会が主催する説明会等も何回か行われたようではありますが、参加者の人数も少なく、正確な計画の周知が心配され、噂だけが一人歩きをし、危機感を感じるとのことでありました。
 そこで、江別小学校通学区域の保護者・自治会はもとより、江別第三小学校・上江別小学校の通学区域・各幼稚園の保護者などにも、回覧板などで広報し、幅広く意見を聞く会を自主的に開催することになり、二回行いました。
 この会議にて『ここで出された意見やアンケート結果を、「江別小学校・江別第三小学校地域協議会」に代表者が委員として参加し報告してほしい』、という要望が相次ぎ、この度嘆願することになりました。
 私達は、少子高齢化、街のスラム化などを含めた地域においての学校のあり方など、近い将来を憂い、「江別小学校・江別第三小学校地域協議会」に委員として出席させていただき、「江別小学校の統合問題を考える会」の意見を集約し報告させていただくことを目的(理由)といたします。                                              以上
会議記録
第一回会議 平成22年2月27日(土)午後6時半より 
江別市コミニティセンター 参加者40名
 第二回会議 平成22年4月27日(火)午後6時半より
眞 願 寺        参加者30名
添付書類   江別小学校統合問題を考える会ブログ写し 
平成22年5月7日 
江別小学校の統合問題を考える会 
代  表  今 野 裕 次 
局  西垣剛一 石堂了正 筒渕裕浩
連絡先(今野)江別市3条2丁目8番地 電話011-385-4767

2010年5月9日日曜日

江別小学校の門柱

江別小学校の正面のには石積みの階段があり、そこを登りきったところに門柱があります。道路側から江別小学校を見上げると、真っ先に目に入る白いコンクリート造りの門柱です。いわゆる”校門”のイメージとは違いますが、江別小学校のシンボルの一つです。風化し、角が欠けているのが残念ではありますが、レンガ校舎の赤茶色とのコントラストが、門柱の存在感を際立たせています。

中央に刻まれている文字は「市立江別小学校」で、町村信孝衆議院議員の実父、町村金五氏によるものです。”市立”とありますので、江別小学校現校舎新築の第3期工事が完了したのが市制施行の翌年、1955年(昭和30年)に建立されたものと考えられます。町村金五氏が北海道知事に当選したのが1959年(昭和34年)ですので、氏が衆議院議員時代に書かれたものなのでしょうか。

2010年5月5日水曜日

江別小学校のこどもの日

江別小学校の校庭にはたくさんの桜の木があります。例年ゴールデンウィーク後半には満開になるのですが、今年は遅れているようで、まだつぼみのままです。レンガ校舎を背景にした満開の桜はとても美しいです。

毎年満開の頃には桜を見に訪れる方が結構いらっしゃいます。なかには親子でお弁当を広げている姿を見かけることもあります。地元の人達にとって気軽に桜を楽しめる憩いの場所となっています。

桜は残念な状態ではありますが、グラウンドでは親子でサッカーをしている姿を見かけ、こどもの日にふさわしい微笑ましい光景に、思わずシャッターを押してしまいました。

2010年5月4日火曜日

江別小学校おやじの会

江別小学校には”おやじの会”があります。2005年(平成17年)に発足し、今年度6年目を迎えるまだ新しい組織ですが、保護者を問わず地域の方々や時には卒業した中高生も交えて、様々なボランティア活動を行っております。

昨年度の活動になりますが、正面玄関からグラウンドに降りる木製の階段が老朽化しており、会発足当時からの懸案事項でした。石積みの立派な階段があるにはあるのですが、正面玄関から離れていることもあり、子どもたちはこちらの木製階段を利用しています。眞願寺さんから枕木を寄贈して頂き、施工には龍田工務店さんのご協力を頂き、ようやく改修することができました。

さすがにプロの仕事です。一冬越してもびくともしていません。素人のおやじたちではこのようにはいかなかったでしょう。

当日の様子を江別小学校HPより

2010年5月3日月曜日

レンガ校舎の耐震性

先日ご紹介いたしました「江別市におけるレンガ校舎の歴史的価値」の中でも触れていますが、3月3日から3月26日まで行われた江別市議会平成22年第1回定例会における伊藤豪議員の一般質問の概要が、5月1日発行のNo.101号「えべつ市議会だより」7頁に記載されています。以下引用です。

れんが建築物の安全調査
問 
れんが建築物の安全性について、調査研究結果はどうなったのか。
答 
れんが校舎は、耐震性を評価する手法等が定まっていない実情から、社団法人北海道建築技術協会と協議した結果、れんが造り校舎の耐震診断確立に関する研究会が立ち上げられた。市は、校舎建設当時の写真 や現地建設関係の各種データなど現存する資料を提供、協力しており、今後の具体的な研究議論を注視していきたい。
※「えべつ市議会だより」のリンク先PDFファイルをご覧になるにはAdobe Readerが必要です、アドビ社のホームページで無償で配布されています。

2010年5月2日日曜日

江別小学校開校百年記念碑

1986年(昭和61年)10月、江別小学校は1886年(明治19年)開校の江東小学校から数えて開校100周年を迎えました。その記念事業の一環として前庭に記念碑が建立されました。

おそらく、江別小学校の校章をモチーフにデザインされたと思われる六角形の記念碑は、タイムカプセルの機能をを兼ねています。2016年10月26日開封と刻印ありますので、建立から30年後の開校130周年の記念事業で開封することになります。

ここで疑問が頭に浮かびます。タイムカプセル開封後はこの記念碑をどうするのでしょうか。また30年後へ向けて、”タイムカプセル開封 2046年10月26日”の刻印とともに、新たなタイムカプセルとして再利用してはいかがでしょうか。みなさんどう思われますか。