除夜の鐘は眞願寺 : http://www.singanji.com/
初詣は江別神社 : http://park19.wakwak.com/~e-jinjya/
少子化問題になんら解決策を見出せないまま、全国・全道的に公立学校の統廃合が進み「母校がなくなる」状況が数多く見受けられます。江別市も例外ではなく、昨年来より江別小学校と江別第三小学校の統合問題が地域協議会で議論され、統合の方向で結論が出されました。私たちは、江別小学校を現在の「萩ヶ岡」に学校機能として残していただきたく、活動しております。 江別小学校を愛する皆さまとのコミュニティの場として開設しております。 北海道江別市にある、開校126年の江別市立江別小学校。その風格あるレンガ校舎は、レンガのまち江別の象徴として地域に親しまれています。
ひゃくねんのおいわい 一ねん三くみ H.H
おとうさんは、えべつでうまれて、えべつしょうがっこうをそつぎょうしました。しんだおじいちゃんもえべつしょうがっこうをそつぎょうしたと、おとうさんにききました。おにいちゃんもそつぎょうして、いまは、ちゅうがく三ねんせいです。おねえちゃんは、えべつしょうがっこうの三ねんせいです。おかあさんだけ、えべつしょうがっこうでは、ありません。えべつしょうがっこうは、ひゃくさいのおばあさんみたいだと、おもいます。えべつしょうがっこうは、いつまでも、いつまでも、あったほうがいいとおもいます。
開校百年に思う 四年二組 S.A
石かり平野のまん中にできた江別小学校が、もう、百年になりました。ぼくの年の十倍もの長い間、何人そつぎょうしたのだろうか、ぼくのお母さんもそつぎょう生の一人です。お母さんが小学校にいるころは、給食もなく、プールもありませんでした。だから、川で泳いで、とてもさむかったとおもいます。でも、今は、プールにうわやねがついてあたたかいです。そして給食もあります。どうしてむかしと今はちがうのかふしぎだと思いました。江小のじまんは、レンガのこうしゃと、とけいとうです。そして、開校百年になったということです。ぼくの江小へのねがいは二百年も三百年もいきのびてほしいことです。ぼくがこの学校に入学して思ったことは、ずいぶん古いなあということです。でも、今は、もう百年もたっているんだぞとみんなにいばれえます。そんな江別小学校で勉強できることがうれしいです。
江小に はいって 一ねん二くみ Y.Tわたしは、いま、江小に、かよっています。いまから、三十ねんくらいまえ、わたしの、おとうさんとおかあさんも、江小に、かよっていました。そのころも、いまとおなじ、あかいレンガのたてもので、いまとおなじ、ところに、たっていたそうです。そのころから、とけいだいのとけいは、いまとおなじように、くるっていたそうです。そのはなしをきいて、なんだかおかしいはなしだと、おもいました。でも、ことし、なおすことになったので、おかあさんもわたしも、うれしかったです。わたしは、うんどうかいが、だいすきです。江小ひゃくねんの、うんどうかいは、たのしかったです。きょねんまでは、いとこのうんどうかいを、みにきていました。だけどことしは、じぶんがでれたので、うれしかったです。おとうさんとおかあさんのときは、せんせいも、せいとも、いまの二ばいくらいいてグランドは、ひとで、ひとで、いっぱいで、じんじゃ山の上でみていたひとは、山からころげおちそうなくらいだったそうです。わたしは、そのはなしをきいてびっくりしました。どうしてかというと、わたしのうんどうかいのときは、じんじゃ山からみているひとは、あまりいなかったからです。だからわたしは、しんじられませんでした。また、そのころは、うんどうかいは、たびをはいてはしっていたそうです。だからおひるまえは、まだ、たびはやぶれていなかったけど、おひるからは、ボロボロにやぶれて、あしのゆびは、とびでてしまうけど、そのままさいごまではしったそうです。わたしだったら、いたくてないてしまうとおもいます。だから、むかしのひとたちは、「つよいんだなあ。」と、おもいました。いまは、うんどうぐつやくつしたがあるので、よかったです。もし、わたしたちもたびだったら、わたしは、うんどうかいにでたくないとおもいました。むかしにうまれなくてよかったです。九月に、江小まつりがありました。わたしは、はじめてだったので、おみこしづくりは、とてもたいへんでした。でも、みんなで、ちからをあわせてがんばったので、りっぱなおみこしができました。ひとりひとりがちからをあわせると「大きなおみこしも、できるんだなあ。」とおもいました。おとうさんとおかあさんのときは、江小まつりはなかったので、やっぱり、わたしは、むかしにうまれなくてよかったです。わたしは、江小ひゃくねんのときに一ねんせいにはいれて、よかったです。
わたしたちの学校 三年二組 R.Aわたしたちの通っている江別小学校は、今年の九月八日に百歳のたん生日をむかえました。百年とは、私のおばあちゃんのお母さんが生まれたころの事ですが、その時の学校はどんなだったのでしょうか。私は江別に来てから、まだ五年よりたっていないのでわかりませんが、おばあちゃんの話では、学校もまだまだ小さかったし、プールもなかったし、トイレも水せんでなかったということです。「あのようにりっぱな学校になって今の子どもたちは、本当にしあわせだね。」と言っていました。でも、今年は百年だから、タワシがけをしたり、記ねんの写真を何まいもとったりしたのでとてもつかれます。私が、江別小学校をはじめて見た時、札ぽろのホテルで見た事のある赤い石でできていたので、「あっホテル見たい。」と言うと、お父さんは「あれは江別に土で作ったレンガをつかっているんだよ。」と教えてくれました。江別の土で出来ているなんて、すごくいい事だなと思いました。私もこれから江別にずーっとすんで行くつもりなので、こんなれきしのある学校に通える事を、ほこりに思っています。