江別小学校は今年で開校124年になります。今から24年前の1986年(昭和61年)、開校100年を迎えたときの記念誌です。さすがに100年記念誌ともなると内容も充実しており、詳しい学校沿革や児童の寄稿も数多く掲載され、当時の隆盛を感じることができます。そのなかから、子どもたちの作文をいくつか紹介したいと思います。
江小に はいって 一ねん二くみ Y.Tわたしは、いま、江小に、かよっています。いまから、三十ねんくらいまえ、わたしの、おとうさんとおかあさんも、江小に、かよっていました。そのころも、いまとおなじ、あかいレンガのたてもので、いまとおなじ、ところに、たっていたそうです。そのころから、とけいだいのとけいは、いまとおなじように、くるっていたそうです。そのはなしをきいて、なんだかおかしいはなしだと、おもいました。でも、ことし、なおすことになったので、おかあさんもわたしも、うれしかったです。わたしは、うんどうかいが、だいすきです。江小ひゃくねんの、うんどうかいは、たのしかったです。きょねんまでは、いとこのうんどうかいを、みにきていました。だけどことしは、じぶんがでれたので、うれしかったです。おとうさんとおかあさんのときは、せんせいも、せいとも、いまの二ばいくらいいてグランドは、ひとで、ひとで、いっぱいで、じんじゃ山の上でみていたひとは、山からころげおちそうなくらいだったそうです。わたしは、そのはなしをきいてびっくりしました。どうしてかというと、わたしのうんどうかいのときは、じんじゃ山からみているひとは、あまりいなかったからです。だからわたしは、しんじられませんでした。また、そのころは、うんどうかいは、たびをはいてはしっていたそうです。だからおひるまえは、まだ、たびはやぶれていなかったけど、おひるからは、ボロボロにやぶれて、あしのゆびは、とびでてしまうけど、そのままさいごまではしったそうです。わたしだったら、いたくてないてしまうとおもいます。だから、むかしのひとたちは、「つよいんだなあ。」と、おもいました。いまは、うんどうぐつやくつしたがあるので、よかったです。もし、わたしたちもたびだったら、わたしは、うんどうかいにでたくないとおもいました。むかしにうまれなくてよかったです。九月に、江小まつりがありました。わたしは、はじめてだったので、おみこしづくりは、とてもたいへんでした。でも、みんなで、ちからをあわせてがんばったので、りっぱなおみこしができました。ひとりひとりがちからをあわせると「大きなおみこしも、できるんだなあ。」とおもいました。おとうさんとおかあさんのときは、江小まつりはなかったので、やっぱり、わたしは、むかしにうまれなくてよかったです。わたしは、江小ひゃくねんのときに一ねんせいにはいれて、よかったです。
わたしたちの学校 三年二組 R.Aわたしたちの通っている江別小学校は、今年の九月八日に百歳のたん生日をむかえました。百年とは、私のおばあちゃんのお母さんが生まれたころの事ですが、その時の学校はどんなだったのでしょうか。私は江別に来てから、まだ五年よりたっていないのでわかりませんが、おばあちゃんの話では、学校もまだまだ小さかったし、プールもなかったし、トイレも水せんでなかったということです。「あのようにりっぱな学校になって今の子どもたちは、本当にしあわせだね。」と言っていました。でも、今年は百年だから、タワシがけをしたり、記ねんの写真を何まいもとったりしたのでとてもつかれます。私が、江別小学校をはじめて見た時、札ぽろのホテルで見た事のある赤い石でできていたので、「あっホテル見たい。」と言うと、お父さんは「あれは江別に土で作ったレンガをつかっているんだよ。」と教えてくれました。江別の土で出来ているなんて、すごくいい事だなと思いました。私もこれから江別にずーっとすんで行くつもりなので、こんなれきしのある学校に通える事を、ほこりに思っています。
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