2011年11月6日日曜日

消えた街

1977年 国土情報ウェブマッピングシステムより
道北の下川町にはかつて鉱山が存在しました。下川町の中心部から道道354号を12kmほど南下した山奥にありました。そこにはバス路線が整備され、さらに学校、診療所、郵便局、駐在所が存在し、ひとつの街が形成されていました。

2006年 Google earthより
下川鉱山は1941年(昭和16年)、三菱鉱業株式会社によって操業を開始し、軍需によって主に銅、硫化鉄、亜鉛を生産していました。1974年(昭和49年)には月産33,000t、従業員580人、人口1,900人でピークを迎えますが、その後輸入品の低価格化により、急速に減産、そしてついには1983年(昭和58年)に休山し、現在では施設管理に数名が勤務するのみで、事実上の閉山となってしまいました。

航空写真を見てわかるように、現在ではほとんどの建物は取り壊され、一部の鉱山施設と、下川町立菱光小学校跡が残るのみとなっています。この菱光小学校は1945年(昭和20年)菱光国民学校として開校し、1983年(昭和58年)の下川鉱山休山とともに休校、1991年(平成3年)正式に廃校となりました。

現存する校舎は、改築後わずか2年しか使用されず休校となってしまいました。休校後しばらくは合宿所などに活用されていましたが、後に町の文化財保管施設として使用されてきました。一時期は、展示を期間限定で開放していましたが、老朽化と管理上の問題から、現在では利用されなくなっているようです。

かつて最盛期には3,000人近い人が、ここで暮らしていたであろうことは、現在の鬱蒼と茂った森に走る一本の舗装道路や、この小学校跡など、僅かな痕跡しか残っておらず、想像すら難しいい状況となっています。この街で暮らしていた人たちは、現在では全国各地に点在していると聞きます。この現状を目の当たりにするとどのように思われるのでしょうか。確実の言えることは、この先、わずかに残る痕跡も、人々の記憶からも、一つの時代を築いた街が消えて行くことは間違いありません。

下川町 : http://www.town.shimokawa.hokkaido.jp/Cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AM04000
下川鉱山Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B7%9D%E9%89%B1%E5%B1%B1

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