1977年 国土情報ウェブマッピングシステムより |
2006年 Google earthより |
航空写真を見てわかるように、現在ではほとんどの建物は取り壊され、一部の鉱山施設と、下川町立菱光小学校跡が残るのみとなっています。この菱光小学校は1945年(昭和20年)菱光国民学校として開校し、1983年(昭和58年)の下川鉱山休山とともに休校、1991年(平成3年)正式に廃校となりました。
現存する校舎は、改築後わずか2年しか使用されず休校となってしまいました。休校後しばらくは合宿所などに活用されていましたが、後に町の文化財保管施設として使用されてきました。一時期は、展示を期間限定で開放していましたが、老朽化と管理上の問題から、現在では利用されなくなっているようです。
かつて最盛期には3,000人近い人が、ここで暮らしていたであろうことは、現在の鬱蒼と茂った森に走る一本の舗装道路や、この小学校跡など、僅かな痕跡しか残っておらず、想像すら難しいい状況となっています。この街で暮らしていた人たちは、現在では全国各地に点在していると聞きます。この現状を目の当たりにするとどのように思われるのでしょうか。確実の言えることは、この先、わずかに残る痕跡も、人々の記憶からも、一つの時代を築いた街が消えて行くことは間違いありません。
下川町 : http://www.town.shimokawa.hokkaido.jp/Cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AM04000
下川鉱山Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B7%9D%E9%89%B1%E5%B1%B1
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