2010年6月29日火曜日

第2回目の地域協議会の開催が決まりました

平成22年7月15日(木)午後6時30分より、江別市コミュニティセンター3F 研修2号において、第2回 江別小学校・江別第三小学校地域協議会が開催されることとなりました。議題は以下の4項目です。

(1) 規約について
(2) 協議会だよりの作成と配布について
(3) 内田委員の「江別市学校適性配置基本計画〈私案〉」について
(4) その他

以前このブログでお知らせしたとおり、当会からの協議会への代表の参加はかないませんでしたが、別な立場で当会事務局より2名が参加しておりますので、皆様のご意見を代弁することは可能かと思います。また、当会より文書による意見書等の提出も、協議会の議題として取り上げられることが確認されております。多くの方の意見や考え方が反映され、オープンでひらかれた議論が行われる協議会となることを切に願います。

2010年6月22日火曜日

江別神社

江別小学校の東隣には江別神社があります。以下、江別神社のホームページよりの引用です。
江別神社は明治18年、熊本県より移住した屯田兵の守護神として加藤清正公を江別市緑町の飛鳥山にお祀り申し上げたのが創始である。
その後、明治24年に出雲大社より大國主大神を奉戴し、明治28年現在の萩ケ岡に遷座。大正4年、大正天皇御即位御大典記念事業として社殿を造営。
この機に伊勢の神宮より天照大御神の御分霊を戴き主祭神として祀った。大正15年郷社に昇格。現社殿は昭和59年に造営。
諸説ありますが、1885年(明治18年)の飛鳥山に創建当時は「屯田神社」と呼ばれており、その後1888年(明治21年)正式に「飛鳥山神社」として創建、さらに1891年(明治24年)の移転とともに「江別神社」と改名されたというのが一般的な認識と思われます。

”現社殿は昭和59年に造営”とあります。隣接する江別市水道庁舎建設と前後して建てられたものです。現第一鳥居にはその旨記載されたプレートが取り付けられています。

以前の第一鳥居は現在の水道庁舎の位置にあり、この丘が「神社山」と呼ばれていたことからも、実に堂々としたものであったことがうかがえます。

2010年6月17日木曜日

二宮尊徳先生幼児之像

以前ご紹介いたしました火薬庫のそばに、昨今の校庭では見かけなくなりましたいわゆる”二宮金次郎像”があります。”二宮尊徳”が本名、”金次郎”は通称で、正確な表記は”金治郎”とWikipediaにあります。実際、台座には「二宮尊徳先生幼時之像」と彫られています。

現在江別小学校にある二宮尊徳先生幼時之像は2007年(平成19年)に、修復・寄贈されたものです。詳しくは江別小学校ホームページのこちらを御覧下さい。

昭和初期頃より戦後にかけて、各地で多く建てられるようになり、小学校の校庭においては馴染みの深い存在になりました。しかし、薪を背負い読書をしながら歩いた事実が確認できないことや、子どもたちが像と同様に、歩きながら読書をすると交通安全上問題があるとの指摘から、次第に取り壊されるようになり、今では貴重な存在となりつつあります。

江別小学校のように、損傷が激しかった像を、歴代のPTA関係者や地域の人たちが寄付をして修復するという活動は、街の発展とともに124年の歴史を歩んできた江別小学校ならではと言えるのではないでしょうか。

2010年6月12日土曜日

第124回 江別小学校大運動会

今日は江別小学校の運動会でした。これ以上ないくらいの青空と、初夏を思わせる気温で、最高の運動会を迎えることができました。今となっては珍しい、鼓笛隊を先頭に入場行進をする伝統をそのままに、地域の方々も懐かしさを感じる運動会です。

いつもは静かな土曜日のグラウンドは、子どもたちの歓声と笑顔にあふれていました。

その昔は街をあげての賑わいを誇った江別小学校大運動会も、児童数が減少したとはいえ、レンガ校舎に刻まれた歴史とともに、かつての面影を感じることができる一日でした。

2010年6月9日水曜日

平成22年第1回江別市議会定例会会議録

江別市議会のホームページに、3月に開催された平成22年第1回江別市議会定例会の会議録が掲載されました。当ブログ2010年3月13日「江別市におけるレンガ校舎の歴史的価値」の投稿記事の中で、伊藤豪議員の第1回定例会での一般質問の話題に触れていますので、再度ご紹介しておきます。以下のリンクよりご覧下さい。

http://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/gikai/kaigiroku/source/2010t1/2010t1-4/1-42.html

2010年6月8日火曜日

江別小学校の”あけぼの”像

江別小学校の前庭には白い人魚の親子をかたどったと思われる像があります。台座の正面に”あけぼの”と、裏面には”製作 竹中敏洋”、”寄贈 高島五作”、”一九六四年十月建立”と彫られています。

1964年(昭和39年)10月8日市制施行10周年記念行事の一つとして除幕式が行われました。江別市総務部「新 江別市史」本編561頁に、”記念式典は、一〇月四日、江別小学校体育館で行われた。出席者は市内外の関係者約五〇〇人。まず江別の礎を築いた先人の霊に対して一分間の黙祷。そののち、松川市長が式辞を述べた。つづいて、江別で最初の名誉市民となった町村敬貴へ称号の贈与、当年度市政功労者八人の表彰、市政一〇周年にあたり岩田敏子ら功労者二三人に表彰及び感謝状が贈呈された。つづいて来賓からの祝辞があり、式典後、祝賀会が開催された。”とあります。

江別市の発展の歴史の影で、江別小学校が本来の教育施設の機能とは別に、コミュニティの場として地域に果たしてきた役割が大きかったことがうかがえます。

2010年6月2日水曜日

江別小学校の周辺環境 8

国道12号のもうひとつの地下歩道”公園通り地下歩道”は、江別駅から7丁目と6丁目の間を石狩大橋へと向かう”本町通り”にあります。1966年(昭和41年)それまでの”公園通り”から改称されました。しかし、国道12号を境に緑町側は現在も”公園通り”と呼ばれているようです。

出入口は8条7丁目側と7条6丁目側にそれぞれ2箇所、緑町西1丁目側と緑町東1丁目側にそれぞれ1箇所の合計6箇所ありますが、それぞれの出入口の階段は、中央部にある1本の地下道に向かって収束するシンプルな構造になっています。

現在は横断歩道も併設されているため、地下歩道を利用する方は多くないと思われますが、老朽化が目立ち、通行中にタイルなどが剥がれ、落下することも考えられます。

開通当時には大きな役割を担っていたと思われる地下歩道も、防犯上の問題や、バリアフリーの観点からも、その存在意義も含め、考えなければならない時期に来ているのではないでしょうか。