2010年7月4日日曜日

和光の池

江別神社の第一鳥居のそばに、「和光の池」と彫られた石碑があります。

詳細は不明ですが、側面に”紀元貳千六百年記念”とありますので、1940年(昭和15年)前後に建立されたものと推測されます。

江別小学校や江別神社がある萩ケ岡は「神社山」とも呼ばれ、支笏火山灰が堆積した”古砂丘”です。江別市教育委員会編「江別の遺跡をめぐる」30頁と11頁に以下のようにあります。
砂丘というと、代表的な鳥取砂丘のように海岸に発達したものを思い浮かべる人が多いと思います。海のない江別でなぜ砂丘が?と不思議に思われるかもしれません。砂丘といっても野幌丘陵を形成している支笏火山灰がさらに風などにより山のように積もってできた丘を古砂丘と呼んでいます。
「神社山」からきれいな水が湧くことは古くから知られており、江別駅周辺で住む人の大切な水源でした。この場に井戸を掘り、水を引き込むための樋も設置されました。水道庁舎は、水に縁の深いところに建てられたのです。
昔は「神社山」 に池があったという話を聞いたことがあります。その池を「和光の池」と呼んでいたのでしょうか。

いずれにしても、この地に水が湧き、昭和30年代まで水源として利用されてきたことは事実です。江別市水道庁舎前にも、モニュメントがあります。

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