2010年5月25日火曜日

飛鳥山における江別競馬

飛鳥山公園に競馬場があったことは「江別小学校の周辺環境 7」でも触れていますが、江別市総務部「新 江別市史」本編229頁に、”江別市においても大正五年、岡田伊太郎を会長とする江別競馬会が誕生。同年九月一〇、十一の両日、飛鳥山に新設の馬場(一周、三五〇間)で、第一回江別競馬が開催された。”とあります。いわゆる草競馬として、飛鳥山で行われたのはこれが最初と思われます。

当時は国策として馬体改良に力を注いでいたこともあり、競馬が奨励されていました。後の1927年(昭和2年)「地方競馬規則」の公布により、翌年の1928年(昭和3年)6月、本格的な地方競馬としての江別競馬が開催されました。江別町開村50周年記念事業の一環であったこともあり、大変盛況であったと伝えられており、1929年(昭和4年)10月の秋季開催では総売上高55,280円を記録したそうです。

しかし、1933年(昭和8年)、売上の5%を徴収するという観覧税の導入に伴い、売上高が急速に減少、翌1934年(昭和9年)現在の見晴台付近に馬場移転を余儀なくされます。

その後も売上が回復することもなく、戦時色が高まっていくなか、1938年(昭和13年)江別競馬はその歴史の幕を閉じることとなります。今やその面影を残すものは飛鳥山に残る史跡と、”競馬場通り地下歩道”の名前のみとなってしまいました。

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